原発通信350号 2012/12/05

前へ

Nuclear Free Now 脱原発世界大行進2

■日時:12月15日(土)13:00~  参加していきましょう!!
■会場:東京・日比谷野外音楽堂(地下鉄「霞ヶ関駅」「日比谷駅」)
■プログラム

 12:00  開場

 12:40  オープニング音楽演奏

 13:00  開会

 ・「さようなら原発」呼びかけ人あいさつ  鎌田慧さん(ルポライター)

 ・福島の被災者から

 ・大賀あや子さん(ハイロアクション福島原発40年実行委員会)
 ※その他、発言者調整中
 14:15  閉会

 14:30 「Nuclear Free Now 世界大行進」出発

■主催:Nuclear Free Now実行委員会
■呼びかけ:さようなら原発一千万署名 市民の会、首都圏反原発連合


12月2日に開かれた『「ふくしま支援」2013年に向けて』、大盛況

 会場に入りきらないほどの人が参加されたようです。下記に動画の記録があります。

 その1 http://www.ustream.tv/recorded/27465530

 その2 http://www.ustream.tv/recorded/27467928

 その3 http://www.ustream.tv/recorded/27489100


今回の総選挙は、「何を学び、どう生きていこうとするのか」を問う選挙

 先週の土曜日から、義父の1周忌ということで東京を離れていました。いつもは穏やかなところが、今後の政治状況を暗示するかのように雪まじりの強風、吹雪でした。法事では誰からとなく、やはり選挙の話が出てきます。保守的なところなのですが、以前とは様変わりし、「さて、どこが…」という感じです。原発問題についても関心は薄いように見受けられます。山の向こう側は、何も変わっていないというのに…。

 そんな事情で、この間、本通信を休んでいました。そんななか、12月4日に放送されたNHK日曜討論「迫る衆院選 激論!社会保障・経済・原発」を法事が始まるまでの短い間だけでしたが見ていました。そこで、司会役の島田敏男が誘導するような発言をしていました。核燃サイクルに関して、単なるゴミを燃やしてガサを減らすかのような言い分です。

 一番悪質だったのは、原子力マフィアの代貸である自民党の甘利でした。顔に似合わず、人を食ったようなことばかりを言いふらしていました。自分たちの責任についての言及は一言もありません。相変わらず「電気が足らなくなる」の一点張り。未来の党の森さんに反論されると、目をうろうろさせていました。

 また、民主党の長妻は、大間原発建設工事再開容認とフルMOX化を聞かれ、地元の理解を得てなどと「責任」を地元に押し付けるかのような言い分です。しかし、原発は、地元住民、地元自治体だけで決められてはならないことを私たちは福島を経験して知ったのです。

 また、帰りの車中で聞いていたニュースでは、石原慎太郎が何を勘違いしたのか「昭和80年代…」などと、歳を感じさせる発言をしていたのが印象的でした。

line 2

NHK解説委員・島田敏男、「使用済み核燃再処理は扱いやすくするため」!?

 12月2日NHKTVで行われた日曜討論「迫る衆院選 激論!社会保障・経済・原発」です。法事が始まるまでの間しか見ていないのですが、司会をしていたNHK解説委員の島田敏男、とんでもないウソをいうのです。六ケ所村の再処理に関して、「再処理して扱いやすくする」などというのです。この人わかって言っているとしたら、とんでもない人です。

この一言をもってもNHKの視聴料払わなくてもいいといえます。核廃棄物をただのゴミであるかのように言い、再処理を燃やしてガサを少なくする程度のことと言っているのです。再処理すればするほど放射性物質は濃縮され、高濃度、高線量になってしまい、「扱いにくくなる」ものだということを知っているのか。再処理で生成されるプルトニウムはそんなに扱いやすいとでもいうのか。

 この発言に、すかさず反論したのは共産党の小池さんただ一人(だったはず)でした。

 この再処理、核廃棄物処理こそが原発の最大のネックだということを、声を大にして問題にしていかなければなりません。(下記に関連記事)


原発は強者の産物 「弱者のまま」選択を

▶原発の呪縛・日本よ! 社会学者・上野千鶴子さん

毎日新聞 2012年11月30日 東京夕刊

 2011年3月で東大を退官し、その年の3月115日に最終講義を予定していた女性学のパイオニア・上野千鶴子さん、4日前に起きた東日本大震災で、その最終講義は行われなくなった。その上野さんは大震災、そしてそれによって引き起こされた福島第一原発事故に対して次のように言います。

【「深い深い後悔からです。環境問題を考え行動していた周囲の仲間は原発は危険、事故は必ず起きるとずっと前から言っていた。それを私は聞いていたのに、何もしてこなかった。こんなことになるとは知らなかったと申し開きはできません」】

【自分が「加害者」の側にいたことは「痛恨の思い」だった】

 この思いは同世代の人に共通する思いと思います。だからこそ、首相官邸前の行動には、その世代の方々だろうと見受けられる人たちが多数集まり、抗議の声を挙げています。

 そして、「原発」とは、なんだったのかとの問いに、彼女は、それは強者の思想の産物だと断を下し、その行きつく先が原発であり、明治以来の悲願だったとも言うのです。したがって、その責任の所在をあいまいにする構造も戦前からの日本の支配構造とまったく同じで、その体質が現代の企業にも受け継がれていると。

【「原発は強者の思想。強者になりたいという志向の産物です。日本が原発を捨てられないのは、核武装の潜在能力を捨てたくないためであり、国際社会で列強諸国と肩を並べるためです。支配者になりたい、抑圧者になりたい……それは明治維新以来の悲願。そして、その通りになった」。強者の思想のつけが原発事故】

【事故は「人災」でもある。「東電では、戦略を立てる人が意思決定の過程で現実をきちっと把握していない、現場からの報告に耳を傾けない、希望的な観測しかしない。都合の悪い情報は隠蔽(いんぺい)する。誰も責任を取らない。敗戦の構造とそっくりです。太平洋戦争時の日本軍の組織体質が、戦後の日本企業にそのまま引き継がれています」】

【「奇跡のときは終わったのです」と語気を強める。「人口減少、高齢社会のなかで再分配の政治・社会を目指すときです」。強者の思想に基づく社会ではなく、弱者が弱者のままで尊重され、生きていける社会づくり。「女を主題にやってきたことが、高齢社会で介護や障害と結びつきました。環境とかエコロジーとは距離を置いてきましたが、原発事故でつながりました。バラバラにあったものが今、ひとつながりになってきたという実感があります」。原発問題と寄り添ったことで、上野さんの運動の動機に「子どもたち未来世代への責任」が加わった】

 確かに、原発を追っていくと最も根源的な問いに突き当たります。そして、今までばらばらであったように見えたものが一つの鮮明な像として浮かび上がってくるのです。原発は自分がどう生きるのか、何を価値の中心に置くのかという問いかけを同時に迫られることでもあるのです。

 さて、当初は、何とか原発を争点から外そうと知恵を働かしていましたが、毎週行われる官邸前での抗議行動や、まあ、このへんが落としどころだろうと企み誘導しようとした「パブリックコメント」が意に反し、7割以上の人が脱原発を選択するという事態に驚き、封印しようとしたが、ままならずというのが実態です。連綿と続く無責任、責任をとらないという思想に民主党の連中も無縁ではありませんでした。それゆえ、何かと人のせい、人任せという流れに身を任せます。

【民主党政権は「2030年代に原発ゼロ」を決めた。「財界の顔色をうかがうならばそうはしたくなかったのでしょうが、国民の意思に抗しきれなくなったという妥協の産物。ぎりぎりの選択をしたという意味では評価できます」】

【「再稼働問題では、立地県の知事が国の判断に頼るなど自分たちの意思決定を棚上げすることがあった。ひと任せ政治極まれりという感じです。国民の間にも、原発問題を人ごとのように捉えている空気がまだある。一人一人が『当事者意識』を持つことが必要です。そのためにも、原発是非を問う国民投票をやった方がいいかもしれません。自分の運命を自分で決める実感が持て、責任を意識することにもなりますから」】

 確かに「一人一人が『当事者意識』を持つことが必要」であり、先日紹介した湯浅誠さんが言われるように「国民の質が変わらない限り」政治が変わるはずもないのです。

 しかし、当事者意識を持つということと、「原発是非を問う国民投票」とは必ずしもイコールという等式で結ぶことはできないと、私は思います。本通信で、再三言っていますが、原発はいいものか、悪いものかという選択肢のなかで判断するものではもはやないのです。原発の存在を認める立場に立つのか、原発を認めない立場に立つのかということなのです。それが福島で経験したことであり、学んだことなのです。

 ところで、上野さんの最終講義ですが、「生き延びるための思想」と演題を変え、昨年7月に行われました。本にもなりましたし、ネットにその時の講演がアップされもしています。私は、ネットでその講演を聞きました。

「生き延びるための思想」


▶特集ワイド:「嘉田新党」を考える

毎日新聞 2012年12月03日 東京夕刊

脱原発を語ると、ときどき、それは「シングルイシュー」だなどと訳の分からぬことを言い出す連中がいます。上記上野千鶴子さんの記事のなかでも書きましたが、原発は根源的なもの=生き方を問うことになるのです。落合恵子さんが本記事のなかで言っているとおりです。以前にも書きましたが、官邸前にいる連中は「再稼働反対」しか言わないなどと、見てきたような嘘をいう連中がたびたびマスコミに登場し発言しています。

▶ファイル:福井・敦賀原発活断層評価を10、11日に

毎日新聞 2012年12月05日 東京朝刊

【当初は10日のみとしていたが、原電の意見を聞くため2日間に延長】

 ドロボーにも三分の理ということですか、「活断層です」などと言うわけないでしょうと。

▶私の視点:2012衆院選/2 原発の「ゴミ」議論不足=専門編集委員・青野由利

毎日新聞 2012年12月05日 東京朝刊

【そんな状況なのに各党が語っていないことは多い。物足りないのは原発の「ゴミ処理」だ。

 国内には約1万7000トンの使用済み核燃料がある。多くが原発敷地内のプールに、一部が青森県に送られ再処理工場のプールに保管されている。

 「全量再処理」の国策の下、これらはすべて「資源」だった。それが再処理をやめると言ったとたん、「ゴミ」となり、青森県は各原発に引き取りを求める。原発のプールにも余裕はない。満杯になれば原発は止まる。地元も「ゴミ」を抱えたくない。

 再処理はゴミ処分を先送りする仕組みでもあったが、現実の政策は技術・コスト両面から行き詰まっている。原発を減らしていくこととも矛盾する。燃やすあてのないプルトニウムを増やすことは核拡散防止上の大問題でもある。

 どんな政策をとるにせよ、原発のゴミ処理は残る。解決に向け新たな仕組みがいる。「総量管理」はゴミの量に上限を設けたり、増加分を抑制したりする考え方だ。「出口」から原発の稼働を管理し、ゴミが多過ぎるとなれば動かせない】

 この問題をどうするのかという問いこそが、原発を考えるうえでの最も根源的な問いであると思います。「自分さえよけりゃいいのか」──そういう生き方をあなたは選択するのですかどうなのですかということなのです。

▶衆院選:未来の党、比例届け出混乱 駆け込みで提出

毎日新聞 2012年12月05日 01時16分

 NHKTVニュースを聞いていて、何か変だぞと思いました。何でも未来の党、告示間際に結成されたこともあり、選挙態勢、はもとより候補者の段取りもうまく運んでいなかったようです。比例区の名簿の届けが締め切り間際になってしまったということなのですが、報道のニュアンス、それが問題であるかのような報道姿勢です。届けなければならない時間内で行われたのだから、問題にすることはないのです。今までなら、さっさと済んでしまい、後は規則通りの時間になるまで、代わりばんこにお茶でもというところがそうならなかったというだけの話です。まあ、そういう意味では時間一杯“労働”しましたということなのです。