原発通信508号                                  2013/08/05

4日午後、宮城県石巻市で震度5強

 4日午後0時28分ごろ宮城県沖を震源とする地震がありました。3.11の余震とのことです。 本通信でもたびたび転載させていただいているブログ「みんな楽しくHappy♡がいい♪」のきーこさんが地震後、線量が急上昇しているところや、女川原発ではなぜか2号機放水口のモニタリングデータが消えている(調整中表示)ということを見つけました。

◆国会答弁より“海外出張”のほうが重要?!

 麻生の「ナチの手口に学べ」発言につづいて、今度は「首相や閣僚が国会で答弁する機会を減らして外国訪問などの公務に取り組みやすくする改革案を近くまとめ、与野党に賛同を呼び掛ける方針を固め」、「国会改革を掲げる日本維新の会と連携し、秋の臨時国会で新ルールの導入を目指す」という話です。
 主権者たる国民に対しての説明責任より、たとえば原発セールスに海外を飛び回るほうが重要ということか。主客転倒というか、それもこれも自民党に安定的多数を与えてしまったツケがこういう形で一つずつ回ってくるのでしょう。今日の毎日新聞に山田孝男編集委員による「ドイツ史に学ぶこと」と題した一文が掲載されています。「生兵法は大けがのもと」と麻生大臣の発言を批判し、最後にナチ・ヒトラーの熱狂的登場で見せた「強権的救済への熱狂を疑うことである」と言っています。

 末尾に簡単にドイツ史をまとめてみました。竹島、尖閣諸島、国防軍構想、憲法改正論議、そして、この「首相の国会答弁削減案」──要するに主権者である国民をないがしろにし、事実上内閣の権限を強化することになる(橋下徹の投票は白紙委任状である発言も同類)――さらに、オリンピック開催に至るまで、現代日本と奇妙なほど似ているのです。
「強権的救済への熱狂」は、小泉政権での劇場型政治―ワンフレーズ政治、石原都知事、橋下大阪府知事(大阪市長)、アベノミクスの安倍政権と続きます。

 この道はいつか来た道…にならないように。

▶首相の国会答弁削減を検討 自民党、近く改革案
東京新聞2013年8月4日 18時08分共同


▶女川 福島第一・第二原発 異常なし

NHKTV8月4日 13時40分

【また、放射線量を測定しているモニタリングポストの値にも変化はないということです。
東京電力によりますと、福島第一原発と福島第二原発でも、新たに異常が発生したという情報は入っておらず、モニタリングポストの値にも変化はないということです】

▶<3.11の余震だって>8月4日12時29分宮城県沖マグニチュード6.0 震度5強~壊れた?モニタリング機器~

みんな楽しくHappy♡がいい♪ 2013-08-04(22:25) 

【女川原発のすぐ先っぽが震源地です。家に帰ってきてツイートでチェックしてみると、「大熊町の線量が急激に上昇している」というのを見つけました。大元のサイトは何処なのか?原子力規制委員会でした】

【こんなふうに大きな数値が出ることはよくある事なのか? 週間のグラフも見てみました。過去1週間、このような動きは一度もしていません。
やっぱり、地震の揺れで壊れたのかな・・・?】

【それから女川原子力発電所のリアルタイムデータ

こちらも機械が地震で壊れたのかな? 赤い線が途中すっぽりと消えています。地震直後「12時40分から15時10分の間2号機放水口モニタ(赤線)は調整中表示になっておりました。
「なおこの間、ホームページで公開中のデータは表示されておりません。」どうして数値が公開されないんだろう?】

▶<除染はできない>「これまで原発を造って儲けてきたゼネコンが事故を起こしたらまた除染ビジネスで儲ける」(小出裕章氏)

みんな楽しくHappy♡がいい♪ 2013-08-04(08:23)



▶福島第1原発:廃炉作業で県民会議を設立 きょう初会合/福島

毎日新聞 2013年08月04日 地方版

【県は1日、県民の幅広い意見を反映させるため、避難区域の住民や業界団体などのメンバー約30人が参加する県民会議を設立すると発表した。4日に初会合を福島市で開く。

 県は昨年12月、廃炉工程を監視するため、専門家や原発周辺13市町村の職員で協議会を設立。独自に調査も行い、政府や東京電力への申し入れなどを行っている。これに加え、住民の立場から廃炉の取り組みを確認し、意見を出してもらうため、13市町村の推薦した住民や農協・漁協などの団体が参加する会議の設置を決めた】

▶選挙:東海村長選 山田氏が出馬表明 元副村長、原発の賛否明確にせず/茨城

毎日新聞 2013年08月02日 地方版

【「持続可能な街づくりをしたい」と立候補を表明した。引退する村上達也村長に後継指名された山田氏は村上村政の継続を掲げる一方、日本原子力発電東海第2原発の廃炉や再稼働については「中立な立場で村民の意見を聞きたい」と述べ、立場を明確にしなかった。】

▶今、「原子力」を考える:福島からの報告/3 放射線への不安/福井

毎日新聞 2013年08月03日 地方版

【「自分はどうであれ、子どもたちに影響が出ないか一番怖い」と不安を漏らす。
 この2日前、福島第1原発で大量の汚染水が漏出したと発表され、地元のテレビや新聞が大きく報じていた。木幡さんは「トラブルで余計ピリピリしてしまう。もうこれ以上、汚してほしくない」と】


▶近事片々:鳴かぬなら?

毎日新聞 2013年08月03日 13時35分

【これも鳴かぬなら鳴かせてみようの類い? 内閣法制局長官人事の異例。

 総力で止めてみせようと国が先頭に立つ時、福島原発汚染水の海洋流出。

 行き先はボールに聞いてくれ、は制球力なき投手の言葉。行き先の安全確認体制なきままの「最高水準の安全」原発輸出もどこかこれに似て。

 警察白書、刑法犯罪の被害、摘発双方の高齢化。乾いた統計数字にみる孤独、孤立の長い影。従来の推理小説は想定しなかった現実。

 <帰省子(きせいし)に糸瓜(へちま)大きく垂れにけり>     杉田久女】

 

▶内閣法制局長官に外務官僚を起用する異例の人事

東京新聞2013年8月4日 筆洗

【集団的自衛権の行使を可能にする憲法解釈の見直しに】
【自衛隊の海外活動を縛ってきた法制局の解釈は、長年にわたる国会での議論を踏まえ歴代政権が引き継いできた重みがある。「内閣法制局長官が時の政権によって解釈を変更できるなら、企業のお抱え弁護士と変わらない」(阪田雅裕元長官)】


◆同じことを繰り返してはならない
▶風知草:ドイツ史に学ぶこと=山田孝男

毎日新聞 2013年08月05日 東京朝刊

【脱線の核心部分はここだ。】

【「ワイマール憲法という当時のヨーロッパで最も進んだ憲法下にヒトラーが出てきた……ある日気づいたらワイマール憲法が、ナチス憲法に変わっていたんですよ。誰も気がつかない間に変わった。あの手口を学んだらどうかね」

 中国メディアが「日本の政権幹部がキツネのしっぽをさらけ出した」と論評したのも無理はないが、この断定は放言の本質を正確にとらえていない。

 麻生はヒトラーの信奉者ではない。毒舌で満座を沸かせたいというウケ狙いの欲にとらわれ、一知半解の知識を振り回して墓穴を掘った。事の本質はそれに尽きると私は思う。

 麻生の最大の誤解は、ヒトラーによる事実上のワイマール憲法改正が、現代日本と同質の議会手続きで行われたという思い込みにある。史実は違う。

 ヒトラーは首相就任直後の1933年3月、立法権を国会から政府に移す全権委任法(授権法)を制定した(ナチス憲法をつくったわけではない)。

 ワイマール憲法76条は改憲のハードルを「国会議員3分の2以上が出席し、出席議員の3分の2以上が賛成する」ところに置いていた。全権委任法採決もこの規定が適用された。

 採決当時は、国会議員647人中81人を占める共産党議員は、全員が、地下に潜るか、強制収容所に送られているかという状況だった。社会民主党議員も120人中26人が逮捕されていた。多くの国民は、反国家的勢力の規制はやむをえないと考えていた。

 本会議場の建物はナチスの軍事・警察組織であるSA(突撃隊)、SS(親衛隊)と熱狂的なナチス支持者に包囲された。反対票を投じた社民党議員が「生きて議場を出られないのではないかと危惧した」(「ヒトラー/権力掌握の二〇カ月」=クノップ著、2010年中央公論新社刊)という状況の中で全権委任法は可決・成立した。

 熱狂と強権の政治を許したものは世界経済恐慌(1929年)波及に伴う失業者の急増だった。

ドイツ現代史に造詣の深い三宅正樹・明治大名誉教授(79)=外交史=に教えていただいたことだが、恐慌当時は社民党首班の連立政権だった。失業保険を維持するために給付金を削るか、保険料率引き上げかという議論になるが、結局何も決められない。

 1930年夏、この連立政権の総辞職で民主主義は終わった。ドイツ国民は既成政党をバカにし、力強い恐慌脱出策を掲げたナチスの宣伝に酔った。

 「ヒトラー/権力掌握の二〇カ月」の著者クノップは、ヒトラーに加勢した人々を動かしたものは、経済の逼迫(ひっぱく)でも闇の勢力でもなく、「彼ら自身の弱さであり、野心であり、幻想であった」と書いている。

 ドイツ史に学ぶべきはヒトラーの手口ではなく、強権的救済への熱狂を疑うことである】

Bundesarchiv Bild 102-14439, Rede Adolf Hitlers zum Ermächtigungsgesetz

全権委任法採決を前に演説するヒトラー

◆ドイツ小史(1930年〜1939年)

1930年3月 第二次ミュラー内閣=社会民主党(SPD)などの連立政権崩壊
1930年9月 ナチ、第2党に。第1党はSPD
1932年7月 総選挙 ナチ第1党に
1933年1月 ヒトラー組閣
1933年2月 国会放火事件
 「民族と国家防衛のための緊急令」と「ドイツ国民への裏切りと反逆的策動に対する大統領令」布告
 これ以後、ドイツ共産党、社会民主党への弾圧強まる

1933年3月 「共産党の議員が国会に現れることはないであろう」「彼らはあらかじめ拘禁されてしまっているのだから」とヒトラーはうそぶき、臨時国会議事堂の周囲をナチ親衛隊、突撃隊が包囲するなか全権委任法「民族および国家の危難を除去するための法律案」可決
1933年7月 政党新設禁止法を制定
1934年8月 ヒンデンブルク大統領死去
       国家元首に関する法律によりヒトラーに大統領権限が委譲
1935年3月 ドイツ再軍備
1936年3月 ラインライト進駐
1936年8月 ベルリンオリンピック開催
1938年11月9日未明 水晶の夜(クリスタル・ナハト)と後に呼ばれる反ユダヤ主義暴動が各地で発生。「水晶の夜」と言われるのは、襲撃で窓ガラスなどが割られ、それが水晶のようにキラキラと光っていたことから名づけられた。先日も紹介したマルティン・ニーメラーの詩はそうした時代を後に振り返って著された

1939年9月 ナチスドイツ、ポーランド侵攻(第2次世界大戦)